日本

トンボは古来、日本では秋津(アキツ、アキヅ)と呼ばれ、親しまれてきた。古くは日本自体を秋津島(あきつしま)とする異名もあった。これは神話において、神武天皇が国土を一望して蜻蛉のようだ(あきつのとなめせるがごとし・交接時の姿勢の事とも)と言ったことから、とされる。

なぜ「トンボ」と呼ばれているかは定かではないが、一説には「稲穂が飛んでいる様に見えたから」とも言われている。事実、古い言葉の残る地域では、名詞の場合、2文字目に「ん」がきて3文字目に濁音が来る場合、2文字目の「ん」は後から挿入されたケースが多い。この法則を当てはめると、「とぼ」となり、「と」は「飛」、「ぼ」は「穂」を当てる事が出来る。つまり「飛ぶ穂」となるわけである。また、「棒が飛んでいるように見える」から「飛ん棒」になったともいわれている。

トンボは勝ち虫とよばれ縁起物であり、前にしか進まず退かないところから、「不転退(退くに転ぜず、決して退却をしない)」の精神を表すものとして、特に武士に喜ばれた。戦国時代には兜や鎧、箙(えびら)刀の鍔(つば)などの武具、陣羽織や印籠の装飾に用いられた。トンボを勝ち虫とする由来は雄略天皇が狩に出かけた際に詠んだ歌が元になっている。素早く飛び回り害虫を捕食し、前進するのみで後退しない攻撃的な姿からともいわれる。徳川四天王の一人本多忠勝は蜻蛉切(とんぼぎり)とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。名前の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。

また、中国の影響で、精力剤となるというふれこみで漢方薬として服用された。1913年にはトンボを商号とした、トンボ鉛筆が創業されている。

この他にも模様のついたガラス玉をトンボの複眼に見立てた蜻蛉玉や、その形状からトンボと名付けられた道具などがある。

トンボ取りは子供の遊びである。目玉の大きいトンボの目の前で、指を回して目を回させようとするのは、実際の効果は高くない。戦前は、竹竿の先にトリモチをつけてとるのが一般的だったようだ。また、小さな石を糸の両端に結びつけ、これを投げ上げる方法も伝えられている。トンボが小昆虫と間違えて接近すると、糸が絡まって落ちてくる、というものである。

いずれにしても日本ほどトンボに対するイメージが豊富かつ良好な所はないといわれる。